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厳律シトー修道会(O.C.S.O.)とは


起源と歴史

 厳律シトー修道会(O.C.S.O.)は、カトリック教会の中で、祈りと労働を主要な手段として神と人々に奉仕する隠世共住修道会です。 1098年、フランスのモレスム修道院の聖ロベルト、聖アルベリコ、聖ステファノ・ハーディング諸修道院長を含む20名ほどの修道者たちによって、 フランスのシトーと呼ばれていた荒れ地に、シトー修道院が創立されました。 更に1125年頃シトー直属の子院として、タールと呼ばれる最初の女子修道院が創立されています。

三創立者


 やがて、シトー修道会の生活様式に従う男子と女子の修道院は、西ヨーロッパ世界の境界を越えて増えていき、著しい発展を遂げました。 しかし、発展の後には、弛緩した時期もあり、これに対する改革の試みが様々な形で繰り返されました。 中でも17世紀の動乱の時期に、フランスのラ・トラップと呼ばれている修道院で行われた改革は広く知られ、この改革を汲む3修族が1892年に合併して、「トラップの聖母改革修道会」を形成し、現在では「厳律シトー修道会」と呼ばれています。

天使園の創立


 

 天使の聖母トラピスチヌ修道院(通称:天使園)は、1898年 (明治31年)、フランスのナンシー近郊のウプシー修道院から派遣された8名の修道女によって創立されました。 これは、日本、とりわけ北海道にキリスト教を伝え、豊かな霊的収穫を収めるためには、日夜祈りに励み、労働の尊さを世にあかしするトラピスト修道者の精神的援助が必要であると痛感された、当時のパリー外国宣教会ベルリオーズ司教の尽力によるものでした。
 現在、厳律シトー修道会は世界に広がり、男子と女子の修道者たちが神の招きに応え、聖ベネディクトの戒律に従い、隠世共住修道者として奉献の生活を送っています。

1913年撮影の共同体(42名)


建築と芸術

ル・トロネ修道院(フランス12世紀)

ル・トロネ修道院の回廊

オバジン修道院のステンドグラス
(フランス12世紀 天使園のステンドグラスのモデル)

天使園の聖堂のステンドグラス

天使園客室食堂のステンドグラス

聖人・福者

アトラスの7人の殉教者たち Atlas Martyrs(1996年)


 

 1996年3月26日から27日にかけての夜間、アルジェリア、ティビリンの村の厳律シトー修道会、アトラスの聖母修道院の7人の修道者たちが、 イスラム原理主義者たちによって連れ去られ、2か月後の同年5月21日に遺体が発見されました。 1993年のイスラム過激派組織の来院と脅迫以来、増大する危険と恐怖の中、彼らは殉教を覚悟してアルジェリアに留まることを決断しました。 それは、神とアルジェリアの人々に捧げられた教会と隣人たち、とりわけ最も貧しい人たちとの友愛の中で、主イエスに従おうと望んだからです。
 事件後、共同体はモロッコに移されましたが、7人の兄弟たちの思いは、生き残った2人の修道者と、後に共同体に加わった兄弟たちに引き継がれました。 今も現地の人々と宗派を超えて交流し、祈りの生活を捧げている修道者たちの存在は、すべての人の父である神の許で、愛し合い、共存することの証しとなっています。

福者ドン・クリスチャン・ド・シェルジェ(没59歳)

修道院長
死後に発見された彼の「遺言書」は、現代の宗教文学の素晴らしい作品として、注目されています。

福者リュック・ドシエ助修道士(没82歳)

7人の中の最年長者
医師で、近隣の貧しい人々の為に開いた診療所での奉仕によって、伝説的な程その地域で有名な人でした。

福者クリストフ・ルブルトン神父(没46歳)

7人の中で最も若く、修練長と副院長でした。手記と多くの詩を残しました。

福者ミシェル・フルーリー修道士(没52歳)

コックと庭師
その単純さと沈黙、祈りの精神で際立っていました。

福者ブルーノ・ルマルシャン神父(没66歳)

付属修道院フェスの長上
共同体の兄弟や貧者、来訪者を大切にした、毅然として有能な人でした。

福者セレスタン・ランジェー神父(没62歳)

熱心な歌者(典礼の担い手)
感受性豊かで忠実、自分自身を与える勇気のある人でした。

福者ポール・ファーブル・ミヴィル修道士(没66歳)

あらゆる種類の手仕事に堪能だった彼は、世話好きですべての人の友達でした。

 

 彼らの殉教は、2010年制作の映画「神々と男たち(邦題)」によって世界中に知られるようになり、人々に深い感動を与えました。 7人は、アルジェリアで同様の暴力の犠牲となって神の愛を証しした他の殉教者たちと共に、カトリック教会の典礼暦で「無原罪の聖マリア」を祝う2018年12月8日、アルジェリアのオランにあるノートル・ダム・ド・サンタ・クルス巡礼聖堂において、列福されました。

「A-DIEU さようならを言う時に」

“・・・時が訪れたら、神に赦しを求め、人間としての私の兄弟たちに赦しを求め、私を襲う人を、心から赦すことのできる心を持っていたい。 ・・・私の最後の瞬間の友であるあなた(※注 殺害者のこと)にも、そう、あなたにも、この『ありがとう』と『さようなら』を言いたい。 なぜなら、私はあなたの中にも神のみ顔を見るからだ。私たち二人の御父である神が嘉されるなら、“幸いな良き盗賊”として、また天国で会おう。
アーメン! インシャ アッラー!”

(「ドン・クリスチャンの遺言書」より)


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聖ラファエル・アルナイズ・バロン St. Rafael Arnaiz Baron(1911~1938)

 聖ラファエルは、短い生涯で高い完徳の頂きに到達し、聖性の誉れ高く亡くなった、スペインのトラピストの修道者です。 1911年、スペインのブルゴスで誕生。建築家を目指していましたが、神に自分を捧げたいと望み、23歳の時に、厳律シトー会サン・イシドロ修道院に入会しました。重症の糖尿病を患った為、数回の入退会を余儀なくされましたが、病気の弱さのうちにも十字架のキリストへの深い愛と信頼、単純さのうちに全く自分を奉献し、1938年、わずか27歳で帰天しました。 1992年9月27日、教皇聖ヨハネ・パウロ2世によって列福、2009年10月11日、教皇ベネディクト16世によって列聖されました。

「神を愛し、単純さのうちに神を探し求める人たちの心を、神はいつも照らしてくださいます。」
「世界で何一つ私を満たすものはないと感じるのです。・・・神御一人だけ・・・神だけ・・・神だけしか!!」

(聖ラファエルの言葉)

  • <書籍紹介>
  • 「神に魅せられて 福者ラファエル・バロンの生涯」 トマス・ガエゴ・著 高橋重幸・訳 (聖母の騎士社)
  • 「福者ラファエルの書簡と霊的思索」        厳律シトー会那須の聖母修道院・訳 (聖母の騎士社)
  • *書籍刊行当時、「福者」であったラファエルは、その後列聖され、現在は「聖人」と称されます。

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福者マリア・ヨゼフ・カッサン司祭 Blessed Marie-Joseph Cassant(1878~1903)

 “すべてをイエスのために、すべてをマリアによって”
 マリア・ヨゼフ・カッサンは、フランス、ツールーズに近いデゼール(砂漠)の聖母修道院の修道者です。 16歳で入会し、25歳の若さで天に召されるまで、単純な、喜びに満ちた心で、冒頭に掲げた標語を生き抜きました。性質は温順で信頼深く、いつも満足していて、それが容貌の美しさに表れていたと、兄弟の一人は証言しています。 イエスのみ心への信心が篤く、自分自身と愛するすべての人々を、いつもイエスのみ心に委ね託していました。 また、ご聖体・エウカリスチアへの愛にうながされ、ミサを執行するために司祭となることを熱望して勉学に励みました。次第に蝕まれていく健康と種々の知的困難のために、司祭職への道は険しいものでしたが、1902年10月12日、遂に司祭叙階の恵みを受けます。その僅か8ヶ月後に、病苦の「すべてをイエスのために」捧げ尽くし、帰天しました。 マリア・ヨゼフ・カッサン司祭は、その諸徳の英雄性が認められ、2004年10月3日、教皇聖ヨハネ・パウロ2世によって列福されました。 福者の生涯は、現在という瞬間を、忍耐と希望、愛をもって生きることを教えてくれます。日常の、特に見栄えのしない小さな事柄や所作も、「すべてをイエスのために」行うならば、素晴らしく価値あるものになるということを。 また、様々な困難や試練のうちにあっても、それらに閉じ込められることなく、まっすぐに本質的なこと―‐イエスとの個人的な交わり―‐へと向かう福者の生き方は、混迷を極める現代世界に生きる私たちにとって、ひとつの道しるべとなり得るのではないでしょうか。


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福者マリア・ガブリエラ・サゲドゥ Blessed Maria Gabriella Sagheddu(1914~1939)

 福者マリア・ガブリエラは、「教会一致の使徒」と呼ばれる、イタリアのトラピスチヌ修道女です。 1914年にイタリアのサルディニア島で誕生。激しい気質の女性でしたが、妹の死をきっかけに神との個人的な出会いを体験し、回心。1935年、グロッタフェラータの厳律シトー会(現在のヴィトルキアノの修道院)に入会。 自分に注がれた神の憐れみへの深い感謝は、当時生まれつつあった、分かれた教会の一致の運動の為に自分の命を捧げたいと望むまでに高められていきました。 「全キリスト者が一致しますように!」という、マリア・ガブリエラがこの奉献をしたその日に、それまで完全な健康を享受していた彼女は結核の病を得、15か月の後に帰天、その奉献を全うしました。 1983年教皇聖ヨハネ・パウロ2世により列福。現在福者ガブリエラの遺体は修道院の小聖堂に安置され、宗派を超えて、キリスト者の一致を求める人々の祈りの場となっています。


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福者チプリアン・マイケル・タンジ司祭 Blessed Cyprian Tansi(1903~1964)

 “ナイジェリア地方教会が全教会にささげる霊的贈り物”
 チプリアン・マイケル・タンジは、ナイジェリアのオニシャ教区司祭として13年間司牧生活を送った後、イングランドのモン・サン・ベルナール修道院に入会しました。 ナイジェリアに観想生活をもたらすという希望のもとに、タンジ神父自身の隠世共住修道院生活への召命を追及するためでした。この希望は当初、退けられたかに見えましたが、神は別の道を通ってこれを実現なさいます。すなわち、創立が拒否されたナイジェリアに代わってカメルーンに創立されたバメンダ修道院が、後に(1987年)「天使の聖母修道院」と呼ばれる分院を、オニシャに創立したのです。 タンジ神父は謙遜さ故に、自身の以前の生活について多くを語りませんでした。そのためモン・サン・ベルナールでは殆ど知られていませんでしたが、教区司祭として彼が成し遂げてきた司牧活動は素晴らしいものでした。自ら貧しく生活し、身を労して示した模範、病人と生活困窮者に示した限度のない愛徳、結婚の聖性と女性の養成への配慮、多くの若者を司祭職へと導いた私的カリスマなど。これらはすべて、同一の源泉から湧き出すものでした。タンジ神父は何よりもまず、深い祈りの人であり、その祈りによって神に対する疲れを知らない深い愛に満たされ、どのようなことであろうと全身全霊を込めて、み旨に全く献身していたのです。 1998年3月22日、自らナイジェリアに赴かれた教皇聖ヨハネ・パウロ2世によって、タンジ神父は福者の列に加えられました。

  • <書籍紹介>
  • 「新しい人生 福者タンジ神父の生涯」 G・ウェアイング・著 木村陽一・訳 高橋重幸・監修 (聖母の騎士社)

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13世紀の写本から

聖ベルナルド修道院長教会博士 St. Bernard of Clairvaux(1090~1153)

 聖ベルナルドはフランスのディジョン近郊の貴族の家に生まれました。信仰厚く教育された彼は、将来も保証されていましたが、贅沢な生活を捨て、1112年にシトー修道院に入会。間もなくクレルヴォーに新しく創立された修道院の修道院長に選出されました。 彼の力強い言葉と人を心服させる人柄は多くの人々を惹き付け、クレルヴォー修道院の名声は次第に高まり、ヨーロッパに多くの修道院が創立されていきました。彼の指導と模範は修道士たちを徳に進ませ、その中からはエウジェニオ3世教皇(1145-53年在位)など、多くの偉大な人物が出ています。 また、聖ベルナルドは修道院内のことに留まらず、教会の諸問題が生じると、教皇の要請により、ヨーロッパ中を巡り歩いてその解決のために尽力しました。 1153年8月20日帰天。彼の死後21年目に聖人の列に加えられ、1830年8月20日、教皇ピオ8世より教会博士の栄誉が与えられました。 神学と霊的生活に関する多くの著作を残し、その名説教、名著によって、「蜜の流れる博士」と言われています。

  • <書籍紹介>
  • 「聖ベルナルド」池田敏雄・著 (アルバ文庫・サンパウロ)
  • 「雅歌について」ベルナルド・著 山下房三郎・訳 (あかし書房)

著作家

初期シトー会の主な著作家


サン・チェリのギョーム William of St. Thierry (1080~1148)

 12世紀を代表するシトー会の神学者
 ベルギーのリエージュ生まれ。ベネディクト会の修道院長であったギョームは、1118年頃に聖ベルナルドと出会い、彼から大きな霊的・知的影響を受け、 1135年、シトー会のシニー修道院に入会しました。カルトゥジオ会修道者の要請で、隠修生活の手引き書として著した「黄金書簡」は、 中世における霊性神学の最高峰の一つと言われています。

イニーの福者ゲリック Blessed Guerric of Igny (c.1070/80~1157)

 ベルギー、トゥルネーの参事会員、司教座聖堂付学校の教授でしたが、1120年頃、聖ベルナルドが修道院長であったクレルヴォーの修道院に入会。 後に、クレルヴォーの子院、イニーの第2代修道院長になりました。典礼歴に沿った54の説教を残しており、日々の典礼を通して私たちの魂の中でキリストが形造られることを説いています。

リェヴォーの聖エルレッド St. Aelred of Rievaulx (1110~12 January 1167)

 "北方のベルナルドゥス"と呼ばれた聖エルレッドは、イングランドのヘクサムに生まれました。 司教座聖堂付学校で学び、1124年、スコットランド王1世の宮廷で仕えるようになり、執事になりましたが、1134年、リェヴォーに入会。 聖ベルナルドの秘書であった初代修道院長ウイリアムのもとで修道生活を始めました。リェヴォーの修練長を経て、1143年からはリェヴォーの子院、 リーヴズビー修道院の修道院長、1147年からはリェヴォーの第3代修道院長となりました。 聖ベルナルドの勧めで著した「愛の鏡」や、友愛を、修道生活におけるキリストとの一致に至るための道と説いた「霊的友情について」が有名です。

現代の著作家


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トマス・マートン Thomas Merton(1915~1968)

 現代の著名な作家として、トマス・マートンが挙げられます。 彼はアメリカにあるゲッセマニ修道院に1941年に入会し、1949年に司祭に叙階された修道司祭であり、修道名はルイスといいました。 入会後、彼の文才に目を留めた修道院長は、執筆活動をするように命じます。その結果、マートンは、多くの著作を残しています。 特に、彼の代表作である自叙伝『七重の山』(1948年発行)は、驚異的なベストセラーとなりました。
 1965年、隠遁生活に入った彼は、1968年、観想修道会の国際会議に参加するためアジア各地を回った際、同年12月10日、滞在先のタイ・バンコクで亡くなりました。

  • <書籍紹介>
  • 「聖ベルナルド」池田敏雄・著 (アルバ文庫・サンパウロ)
  • 「雅歌について」ベルナルド・著 山下房三郎・訳 (あかし書房)